なみえに生きる

次々と人と繋がって行くのがこの町の面白いところ!!

1.浪江町に移住する前はどこでどんな生活していましたか?

20年近く京都市の精神科に通院しながら、己と向き合い病気と向き合う日々でした。主治医やセラピスト(カウンセラー)と、精神科医療とは何か、セラピーとは何かを対話してきて、患者の側から見た精神医療についての多くの経験を積ませてもらいました。また地域で様々な方と交流をしたりお手伝いをさせて頂く事で、色んな社会勉強をさせて頂きました。

2.持病を抱えながら、それでも浪江町に移住しようと思ったのはなぜですか?

家族からの援助に頼るのではなく、家族と離れて暮らすのが積年の悲願でした。コロナ鬱で腐っていた所に、主治医の引退が決め手になりました。引退直前の主治医に、「浪江で過ごすと症状があまり出ず調子が良いが、家から離れた時間が良かったのだろうか」と話した所、主治医から「場所(が良い)って事もありますよ」と言われました。この言葉が頭から離れず、それだけ気になるという事は、浪江は自分にとって大事な所なんじゃないか? と思ったのがきっかけになりました。

3.移住の際、支援制度や補助金で何か利用されましたか?

公的なものは一切ありません。ご縁が出来た様々な方から多大なご支援をいただきました。

4.どのようなプロセスで移住しましたか?

まずここに住むという視点でこの地域を見てみました。次いで精神科クリニックを探しました。その次に「浪江町移住・定住相談窓口」に電話で相談したところ、復興庁からの移住定住補助金が予定されているので、内容がハッキリするまで待つようにとのアドバイスを頂きました。そして、知人から町営住宅の話を聞き、募集日程をHPで調べて、役場で住宅係・福祉係・定住推進係の4者面談をして頂き、移住への不安について相談にのって頂きました。町営住宅の秋の応募に当選したので移住しました。

5.移住して最初にしたことは何ですか?

初めての一人暮らしでしたので、まずは生活用品の買い出しです。

6.現在はどんな仕事をされていますか? また、そのお仕事はどのようにして見つけましたか?

東日本大震災・原子力災害伝承館の受付のアルバイトです。と言っても障害年金とどちらの収入が多いか分からない状態なので、職業というには抵抗も感じます。移住によって病状が改善したので、2021年の年末くらいから障がい者雇用を中心にハローワーク等で探していたのですが、偶然スマートフォンでIndeedの募集広告を見つけました。

7.浪江町に移住してよかったと思うのはどんな時ですか?

持病が大きく改善し、今のところかなりストレスフリーな生活をさせて頂いていることです。また、地域の課題に対して、移住者だからあるいは精神疾患だからわかる事、貢献できるこ事があると感じる時はやはりうれしいです。

8.仕事探しが大変だったと思いますが、移住してみて今の率直な気持ちをお聞かせください。

就労を考えた時に障がい者募集がほとんど無く、数少ない募集も実は身体障がい者しか求めてなかったりと、精神障がい者は、就労に関してかなり自力で動けないと難しい地域だと感じたのが大変でした。他のことも含めて精神障がいや精神疾患に対する支援体制がとても脆弱な地域だと感じます。震災で心の傷を負って引きずっていらっしゃる方も少なくないのでは?と考えた時に、それを支えれる地域なのだろうか?と思うと、気持ちが暗くなります。

9.浪江町に来て驚いた事はありますか?

人口が僅か1800人に満たない町なのに、地域住民や行政、地域の諸団体の間の繋がりが希薄な事に驚きました。例えば3自治体8企業の協定関連行事などは両手の指で数えても余るくらいの町民しか来場していない。駅周辺開発も多くの町民の知らないところでいつの間にか計画が出来上がっている。復興の主体が住民ではなく、事業主体は広く住民の声を聞くことをせず、住民の側も積極的に声を上げることをしていない。なぜこれだけの人数しかいないのに、ここまでコミュニケーションがとれないのか、とても驚きました。そして住んで知ることによって、原子力災害が問題を根深く難しくしているのではないかと感じています。

10.今の生活についてお聞きします。浪江町でお気に入りの場所・食べ物があれば、好きな理由とともに教えてください。

お気に入りの場所は、「喫茶コスモス」そして「イオン浪江店」です。お気に入りの食べ物は、「食事処 いふ」さんで頂いた魚料理です。その理由は、喫茶コスモスは、移住前に移転復活の話が出た頃からお手伝いさせて頂いているので、思い入れが大きいです。また私にとって、とてもステキな空間に感じられます。イオン浪江店は、南相馬市まで出かけなくても日常の買い物が出来るので、とてもありがたいからです。京都では、鮮度が落ちた魚を煮魚にするのが当たり前でした。それだけ私の育った京滋は海産物がとても貧しい地域なのです。なので、「いふ」さんでおいしい煮魚を頂いたときは衝撃でした。

11.休日はどのように過ごしていますか?

地域で繋がれた人と関わることや、行事などに参加する事でほとんどの時間が過ぎていきます。その隙間で自宅の片付けや掃除、買い物などに追われています。

12.浪江町での今後の楽しみにしている事はどんなことですか?

こんな自分でも温かく迎えいれて下さる方々がいて、心を癒やしてくれたこの町、この地域、ここの人々に恩返しをしたいと思いました。そのために私が出来る事があるような気がするのが有り難くもあり、喜びでもあり、楽しみでもあります。

13.今後の尾崎さんの目標を教えて下さい。

一つは病気を益々回復させていき、この浪江町で自立した生活を送ることです。そして私は震災や復興といったキーワードと無関係に移住して来ましたが、実際に浪江町に住むとやはりそれらを意識し、考えずにはいられません。誰も「復興」という言葉を使うことも意識することもなく、私自身も地域の皆さんも、当たり前の日常生活を送れる時を迎えるのがもう一つです。  そして、原子力災害というとても特殊な出来事が、11年余り経った今でも被災地にどのような影を落としているのか、ここで生活し、ここの方々と交流しないと分からない事があまりにも多いです。勤務先の伝承館の展示を見ても、それはほとんど分からないと思います。原子力災害ならでは分断と復興の難しさのありのままを、多くに方が知り、自分事として共に考えて頂きたいと勤め始めてから思うようになりました。

14.今後の尾崎さんの目標を教えて下さい。

数多くの難題を抱える町ですが、移住の間口は広く寛容だと感じました。この寛容さはこの地域が元々持っている底力だと思います。元々の住民の方か移住者かなど関係無く、手を取り合て地域を良くしていく為に、どうか力を貸して下さい!
また、住んで地域交流を積極的にすると、次々と人と繋がって行くのがこの町の面白いところだと思います。ぜひここ浪江町での生活を楽しんで下さい。